ヒマワリのスカート

好きなことのスケッチブックです。気の向くままに書いています。よかったら覗いていってね♡

あおり運転の加害者を見てると楽しいけど

あおり運転の加害者についての報道を見てるとワクワクした。

やべーやつがいるなぁ、窓を開けちゃ駄目だよね、なんて近くの人と話題になった。

ワクワクの中に、誰かを自分よりも思いっきり下に見下したい欲求を感じてシラケてしまった。

なんだ、ワクワクはそんなしょうもない欲求からか。

誰か自分よりも下な人を見つけて安心しようとしてる。
そんな自分がいる。

今年の夏はスイカのズボンと

今年の夏は紺地に赤のスイカの柄の半ズボンを買った。夏!という感じがして良い。
とても気に入っている。

ただ、私の体重の倍!の夫と一緒に寝ていて夏バテした。寝ている間に体が冷えてしまって、起きたときに体が冷えてちょっといつも風邪気味だった。
だから、スイカのズボンはタンスにサヨナラして、今は長袖長ズボン。勿体ないけど体が大事。

そういやさ、静岡の人は長そでの「そで」のイントネーションが違った。
昔、1ヶ月ちょっとだけ静岡のレオパレスで暮らしていた。東静岡のハンバーグのさわやかは空いていて、たまに一人で食べに行った。
その頃、さわやか、袖のイントネーションや、コンコルド、お弁当どんどん、なんかの静岡トークで笑いあったりした。
地元トークは楽しいよね。

色んなことが過去になる。

はじめに話を戻すと、スイカのズボンをはいていたことを記録しておきたかった、いつか過去になったときに思い出したいのはそんなこと。

イライラする人のことを考えすぎて恋しているのか

職場でムカつく人がいて、最近その人のことを気を抜くと考えている。

たぶん、自分に似ているからムカつくんだと思う。

人当たりが良いけれど、本心は違うのが伝わってきて気持ち悪い。

痛めつけたいというネガティブな感情を久しぶりに感じる。

疲れるからやめれば良いのに、イライラするのはちょっと快楽だと思う。

スピリチュアルが好きなSさんに、エンジェルサインという人生の課題が現象として現れる話を聞いた。そのときは眉唾だと思ったけど、このイライラする感情を克服するのは、1つのヒントになるかもしれない。

ま、違うことを考えて過ごそう。

今日の日記。

今日は喫茶店で、結婚式に来てくれた恩師に手紙を書いて写真と一緒に送った。
おばあちゃんにも手紙を書いた。最近はきっと字も読めなくて、話しかけてもおぼろげだから、大きな字で書こうかと思ったけど、結局いつもどおり小さな字で書いた。
おばあちゃんの俳句の本を結婚式の待合室で皆に見てもらったことを報告した。
伝わるかな。おばちゃんに声に読んでもらえたらいい。

今日は眼鏡屋でムダに6000円も払うことになってしまってイライラした。きっと、こっちの「6000円が無駄金になった」ということを店員が汲んでくれたらイライラしなかったと思う。話も噛み合わなくて、モンスターっぽくなってしまった。
Twitterに店名入りで愚痴ろうか頭をよぎったけど、カスタマー相談室に愚痴を送った。こんなことするのは初めて。

ベトナム旅行の相談を夫とする。交通手段の確認など。楽しみ。

今日の晩御飯は、トウモロコシご飯とナスの味噌汁とナスの揚げびたし。ダブルナス。
昨日の天ぷらに使った油が残ってたから揚げびたしを作ってから処分した。
美味しかった。タンパク質が足りないかな?

今日の日記。

午前中
お茶の稽古 5回目?
頭と体が全然連動しなくてもどかしい、予想以上に運動神経に関係するんだなと思う。(いわんや私をや)
正座が慣れなくて、足が痛くて頭痛もして集中力がきれる。後半のグダり方が酷かった。反省。
歩き方・ものの持ち方も全て適当だったことを思い知る。
先生が怖かった、大人になって注意されるのは良いこと。ニュートラルに受け止めていく。

お昼
昨日の残りのパスタ。美味しい。夫が作ってくれる。サイコー!

午後
KALDIで買ったタピオカをゆがく。1時間もゆがいて光熱費の圧迫感が強い。
前にベトナム料理店で買ったココナッツミルクと牛乳と砂糖を温めて冷やしたもので飲む。
ちょっとクドいけどだいぶ美味しい。タピオカがモチモチ。並ぶのがイヤだから有名どころのタピオカ1回も飲んでないや。ブームが終わった頃に飲みたい。

5時くらいから商業施設へ。
H先生用に結婚式の写真を現像する。明日手紙と写真を送る。現像してから白無垢の写真ばかりでドレス姿の写真がなかったことに気づくけど、まぁいっか、と思う。

夫と天ぷらをつくる。
ナスと舞茸とアボカド。それとお麩の入ったお吸い物。やっとお吸い物の配合を覚えた。ふたり分(500くらい)に小さじ1の薄口醤油と小さじ2/3の塩。
頂き物のベトナムのライムとこしょうの入った塩が意外とあう。美味しい。

凪のお暇の録画を見る。

ルイボスティーを飲む。美味しい。

金子由紀子「暮らしのさじ加減」を読む。

窓ガラスふく。気になってたことして偉い。


カーテン、寝室とリビングのカーテンを入れ替える。リビングのカーテンの色を全然気に入ってなくて変え替えたいと思いながら早1年。
寝室と同じサイズだと知り、夫にお願いして入れ替えてくれた。とても嬉しい。安っぽいひとり暮らし用っぽくて何だかなと思ってたけど、買えかえるには勿体なくて。

転職前だからか、ちょっと興奮して財布の紐が最近ゆるい。
客観的に見ようと思う。

いつものメンツ

結婚して半年、一緒に暮らし始めてから1年経ちました。

食の好みがあうのは大切だというけれど、

わたしは和食党で毎日和食を食べたい人。
夫はバラエティー豊かに色々なものを食べたい人。
飲みに行かない日は、スーパーで買ったお惣菜とキャベツの千切りのサラダを食べていたらしい。


夫は太り気味だし食生活を改善させようと、わたしは張りきった。
鯛の照り焼き、鳥と大根の煮物、きんぴらゴボウと毎日醤油味のものが当たり前のように続いたとき、夫は言った。

「毎日同じ料理はいやだ、もっとバラエティーをつけて欲しい」

わたし「いや、昨日は魚やし、今日は鳥やし、毎日一緒じゃないやん、何を言ってるん」

夫「いや、ペペロンチーノとか、チンジャオロースとか食べたいんやー!!」

わたし(困った、ペペロンチーノもチンジャオロースも作ったことも、作ろうと思ったこともないわ)

同居したてで新鮮な気持ちだったわたしは、頑張ってペペロンチーノやチンジャオロースを作った。



〜〜〜〜〜時は流れ早1年〜〜〜〜〜



夫「和食さいこー!!いつメンを入れれば何でも美味しくなる!!圧倒的に和食が簡単で美味しい!
わざわざ洋食も中華も食べなくても満足してる!!」

いつの間にか夫は完全なる和食党になってた。

夫が言い出したいつメンとは、
和食を作るためのいつものメンツ、酒、醤油、みりんのことである
ちなみに我が家は和食に砂糖は使わない。

夫「料理がこんなに簡単なんて知らなかった!
クッ○ドゥがないと作れないと思ってた!
肉じゃがも牛丼も煮物も佃煮もいつメンで作れる!」

夫「料理って美味しいものが食べられるというご褒美があるし、休みの日にいい暇つぶしになってさいこー!」

と喜んで料理をするようになった。

ターニングポイントは、高級ないつメンを揃えたときだと思う。急に料理の美味しさがぐっとレベルアップした。  


わたしが何か作っていると
夫「今日もいつメン??嬉しい!!」と言ってくる。

一緒にスーパーに行っても
夫「これもいつメンで料理しよー!」と言ってくる。

こうやって家族にしか通じない言葉が増えていく。

網膜色素変性症の診断と優生思想

家庭医学書などでは、網膜色素変性症もうまくしきそへんせいしょうのことを「徐々に視野が狭くなり、視力を失うこともある遺伝性の病気で、治療法は確立されていない」と解説されることが多いようです。確かにそれで間違いないのですが、実際に網膜色素変性症と診断された患者さんにとって、この説明を正しく理解することはなかなか大変なことです。「視力を失うこともある」という言葉は、しばしば「失明宣告」のように受けとられ、発病した以上、光を失うことは免れないと思い込んでしまう人も少なくないようです。

https://www.skk-net.com/health/me/c01_09.html

 

(当時の記憶をもとに書いており、大筋はあっていても言葉が適切でない可能性があることを了承ください)

 

 

去年の3月ごろ、30歳になる年なので一度受けておこうと思い人間ドッグを受けました。

4月に届いた検診の結果を開けるとE判定がありました。

「網膜変性」と書かれ「眼科の検査で異常があります。眼科を受診し精密検査を受けてください」と書かれていました。

 

インターネットで網膜変性と検索すると、網膜色素変性症の結果ばかりが出てきます。

(実際は網膜変性と短縮して書かれているだけで、網膜色素変性症のことでした)

「でも、わたしは網膜変性だから違うのかもな」と思いながら近所の眼科へ行きました。

 

わたしは昔から眼科の検査がとても苦手で、目に空気を当てる検査はすぐに目を閉じてしまいます。

看護師さんに何回もやり直しをさせてしまい、申し訳ない気持ちになりながら診察室へ。

 

医師よりとっても眩しい光を目に当てられながら、目を開けているように指示をされます。

眩しくて涙が出てしまい、全然目が開けられず。目を開けているつもりでもあいておらず、全然診療が出来ず。

医師より「そんなんじゃ診察が出来ない」と強く言われ、もともと涙目だったのがさらに涙目に。

 

そして、診断を受けます。

 

医師「網膜色素変性ですね。網膜に異常があります。あなたのご家族のなかで目のみえない方はいますか?」

急に失明した家族の話をされて戸惑いながら、憶えがないと答えます。

 

医師「遺伝性のものか、あなたに突然現れた症状なのか、これはとても大切なことなので、ご両親などにしっかり確認してください」

私「・・・わかりました」

 

医師「あなたは30歳女性ということですが、結婚はしている?妊娠は?」

私「この秋に結婚する予定にしています。」

医師「そう、子どもに遺伝する可能性があるから、出産は慎重にならないといけない。」

*そのあと「遺伝子のミスプリント」という言葉を使って遺伝の可能性について説明を受けました。

私(自分の子ども・・・?へ?ていうか私はどうなるの・・・?)

 「えっと、網膜色素変性というのは、どういう症状がでるのですか?」

医師「視野が徐々に欠けていくほかに、眩しさを感じたり、特に夜眩しくて目が見え にくくなったりします」

私「はー、それで治療法は?」

医師「現在治ると言われている治療法はありません、人によって進行は様々で人によっては、50歳くらいで白い杖を使うようになる人もいます、別に珍しい病気ではありません」

私「はー」

医師「次は視野検査をします、経過観察が大切なので定期的に受診するようにしてください」

 

と言われて次の予約を行い診察を終えました。

 

 

病気についての詳細や治療法について教わるよりも先に子どもを産むか産まないかの話をされました。

(え?わたしは?どうなるの?)と思いました。

 

ふわふわとした気持ちで帰ってきましたが、

いまは夫となっている同棲していた彼氏に報告しながら

急に怖かったという感情が出てきて泣きました。

 

その数か月頃でしょうか。テレビのニュースで優生保護法に基づき難病の女性に強制的に不妊治療をしていたことが紹介されていました。

 1948年に制定された旧優生保護法に基づく強制不妊手術の実態が、明らかになってきた。「不良な子孫の出生防止」を掲げ、遺伝性の疾患、知的障害者らが子を産めなくする対象とされた。

http://www.asai-hiroshi.jp/newpage27.html

優生保護法の対象となる遺伝性の疾患のなかに「網膜色素変性症」も対象になっていることを知り、

当時の診断の時に感じた恐怖の正体が分かり腑に落ちたようでした。

 

ただの目の病気だと思っていたけれど、

時代が少し違っただけで、私は子どもを産んではいけない対象にされていた。

そして、40歳程度の医師(女性)にも妊娠を慎重に考えるようにという考えがあったのです。

妊娠について慎重に考えることなんて出来るでしょうか?

コントロール出来るのは避妊するかどうかくらいではないでしょうか。

それは「産まない」という選択肢を考えるように指示されたと私は感じました。

 

その後は医師を変えてもらい、定期的(6か月に一回ほど)に経過観察を行っています。そもそも目の検査が苦手で怖いのと、病気が進行していたらどうしようという恐怖も正直あります。

 

でも。

目の見えなくなる私を可哀そうだと思う感情は正直あります。

たまに、目が見えなくなったら何もできなくなる!パソコンも見れない!

料理もできない!仕事もできない!外も自由に出歩けない!

と不安が襲ってくることもあります。

 

でも。

わたしが小学生の頃、母が点字のボランティアをしていて目の不自由な人と一緒に過ごす時間がたくさんありました。点字の読み方を習ったり、おやつを食べたり、散歩したりしてました。

その人のことを私は、可哀そうだと思ってなかったのではないか。

明るくておもろいおばちゃんやな、と思っていた。

 

自分を可哀そうという感情から一歩先に出ると、別に可哀そうじゃない自分がいる。

 

目が見えなくなっても、不便かもしれないけど死ぬわけじゃないし。

 

ていうか、いまは目が見えているんやから、心配してもしょーがないし。

 

 

 

ただ私は、優生思想にノーと言える私になりたいと思う。

 

誰でも価値がある大切な人で、

でも、逆にみんなただ生きているだけで価値なんてあるんだろうか。

ただ生きているだけ。

他の人を傷つける権利なんて誰も持っていない。

 

サポートが必要だから、お金がかかるから、という理由で排除するような人には

「じゃあ、あなたはそんなに価値があるんですか?どういう価値が?」と聞きたい。

 

優生思想に転じる土壌は今の日本にもあるんだろう。

そもそも人間を「健康で社会に役立つ者」と「劣っていて価値のない者」に二分する考えが社会にあったことが、障害者ひいてはユダヤ人の大量虐殺の土壌になったと指摘。「人間は、命の価値を尊重しなくなると人が殺せてしまうのです。社会の中に、病、障害、苦悩、死が存在することを受け入れようとする意見が、かつても今も少なすぎます」と警告する。

https://toyokeizai.net/articles/-/145061

 

buzzmag.jp

 

 

人の優劣、違いを簡単にジャッジされる環境は多いけれど、

「ジャッジしない人」と一緒にいると安心するし、わたしはジャッジしない人になりたい。

 

 

 

参考

www.msn.com

この記事を読むと全盲の女性の子育てへのサポート制度がないこと、

遺伝性の病気で産むことを躊躇されること、まだまだ支援制度がないことがわかる。

切り開いている人がいる。

 

www.skk-net.com

網膜色素変性について分かりやすく説明してある。

 

 

guuuuutara.hatenablog.com

 自分の記事やけど、前にこんなこと書いてた。余裕のある愉快な社会になって欲しい。