網膜色素変性症の診断と優生思想
家庭医学書などでは、網膜色素変性症のことを「徐々に視野が狭くなり、視力を失うこともある遺伝性の病気で、治療法は確立されていない」と解説されることが多いようです。確かにそれで間違いないのですが、実際に網膜色素変性症と診断された患者さんにとって、この説明を正しく理解することはなかなか大変なことです。「視力を失うこともある」という言葉は、しばしば「失明宣告」のように受けとられ、発病した以上、光を失うことは免れないと思い込んでしまう人も少なくないようです。
https://www.skk-net.com/health/me/c01_09.html
(当時の記憶をもとに書いており、大筋はあっていても言葉が適切でない可能性があることを了承ください)
去年の3月ごろ、30歳になる年なので一度受けておこうと思い人間ドッグを受けました。
4月に届いた検診の結果を開けるとE判定がありました。
「網膜変性」と書かれ「眼科の検査で異常があります。眼科を受診し精密検査を受けてください」と書かれていました。
インターネットで網膜変性と検索すると、網膜色素変性症の結果ばかりが出てきます。
(実際は網膜変性と短縮して書かれているだけで、網膜色素変性症のことでした)
「でも、わたしは網膜変性だから違うのかもな」と思いながら近所の眼科へ行きました。
わたしは昔から眼科の検査がとても苦手で、目に空気を当てる検査はすぐに目を閉じてしまいます。
看護師さんに何回もやり直しをさせてしまい、申し訳ない気持ちになりながら診察室へ。
医師よりとっても眩しい光を目に当てられながら、目を開けているように指示をされます。
眩しくて涙が出てしまい、全然目が開けられず。目を開けているつもりでもあいておらず、全然診療が出来ず。
医師より「そんなんじゃ診察が出来ない」と強く言われ、もともと涙目だったのがさらに涙目に。
そして、診断を受けます。
医師「網膜色素変性ですね。網膜に異常があります。あなたのご家族のなかで目のみえない方はいますか?」
急に失明した家族の話をされて戸惑いながら、憶えがないと答えます。
医師「遺伝性のものか、あなたに突然現れた症状なのか、これはとても大切なことなので、ご両親などにしっかり確認してください」
私「・・・わかりました」
医師「あなたは30歳女性ということですが、結婚はしている?妊娠は?」
私「この秋に結婚する予定にしています。」
医師「そう、子どもに遺伝する可能性があるから、出産は慎重にならないといけない。」
*そのあと「遺伝子のミスプリント」という言葉を使って遺伝の可能性について説明を受けました。
私(自分の子ども・・・?へ?ていうか私はどうなるの・・・?)
「えっと、網膜色素変性というのは、どういう症状がでるのですか?」
医師「視野が徐々に欠けていくほかに、眩しさを感じたり、特に夜眩しくて目が見え にくくなったりします」
私「はー、それで治療法は?」
医師「現在治ると言われている治療法はありません、人によって進行は様々で人によっては、50歳くらいで白い杖を使うようになる人もいます、別に珍しい病気ではありません」
私「はー」
医師「次は視野検査をします、経過観察が大切なので定期的に受診するようにしてください」
と言われて次の予約を行い診察を終えました。
病気についての詳細や治療法について教わるよりも先に子どもを産むか産まないかの話をされました。
(え?わたしは?どうなるの?)と思いました。
ふわふわとした気持ちで帰ってきましたが、
いまは夫となっている同棲していた彼氏に報告しながら
急に怖かったという感情が出てきて泣きました。
その数か月頃でしょうか。テレビのニュースで優生保護法に基づき難病の女性に強制的に不妊治療をしていたことが紹介されていました。
1948年に制定された旧優生保護法に基づく強制不妊手術の実態が、明らかになってきた。「不良な子孫の出生防止」を掲げ、遺伝性の疾患、知的障害者らが子を産めなくする対象とされた。
http://www.asai-hiroshi.jp/newpage27.html
旧優生保護法の対象となる遺伝性の疾患のなかに「網膜色素変性症」も対象になっていることを知り、
当時の診断の時に感じた恐怖の正体が分かり腑に落ちたようでした。
ただの目の病気だと思っていたけれど、
時代が少し違っただけで、私は子どもを産んではいけない対象にされていた。
そして、40歳程度の医師(女性)にも妊娠を慎重に考えるようにという考えがあったのです。
妊娠について慎重に考えることなんて出来るでしょうか?
コントロール出来るのは避妊するかどうかくらいではないでしょうか。
それは「産まない」という選択肢を考えるように指示されたと私は感じました。
その後は医師を変えてもらい、定期的(6か月に一回ほど)に経過観察を行っています。そもそも目の検査が苦手で怖いのと、病気が進行していたらどうしようという恐怖も正直あります。
でも。
目の見えなくなる私を可哀そうだと思う感情は正直あります。
たまに、目が見えなくなったら何もできなくなる!パソコンも見れない!
料理もできない!仕事もできない!外も自由に出歩けない!
と不安が襲ってくることもあります。
でも。
わたしが小学生の頃、母が点字のボランティアをしていて目の不自由な人と一緒に過ごす時間がたくさんありました。点字の読み方を習ったり、おやつを食べたり、散歩したりしてました。
その人のことを私は、可哀そうだと思ってなかったのではないか。
明るくておもろいおばちゃんやな、と思っていた。
自分を可哀そうという感情から一歩先に出ると、別に可哀そうじゃない自分がいる。
目が見えなくなっても、不便かもしれないけど死ぬわけじゃないし。
ていうか、いまは目が見えているんやから、心配してもしょーがないし。
ただ私は、優生思想にノーと言える私になりたいと思う。
誰でも価値がある大切な人で、
でも、逆にみんなただ生きているだけで価値なんてあるんだろうか。
ただ生きているだけ。
他の人を傷つける権利なんて誰も持っていない。
サポートが必要だから、お金がかかるから、という理由で排除するような人には
「じゃあ、あなたはそんなに価値があるんですか?どういう価値が?」と聞きたい。
優生思想に転じる土壌は今の日本にもあるんだろう。
そもそも人間を「健康で社会に役立つ者」と「劣っていて価値のない者」に二分する考えが社会にあったことが、障害者ひいてはユダヤ人の大量虐殺の土壌になったと指摘。「人間は、命の価値を尊重しなくなると人が殺せてしまうのです。社会の中に、病、障害、苦悩、死が存在することを受け入れようとする意見が、かつても今も少なすぎます」と警告する。
https://toyokeizai.net/articles/-/145061
人の優劣、違いを簡単にジャッジされる環境は多いけれど、
「ジャッジしない人」と一緒にいると安心するし、わたしはジャッジしない人になりたい。
参考
この記事を読むと全盲の女性の子育てへのサポート制度がないこと、
遺伝性の病気で産むことを躊躇されること、まだまだ支援制度がないことがわかる。
切り開いている人がいる。
網膜色素変性について分かりやすく説明してある。
自分の記事やけど、前にこんなこと書いてた。余裕のある愉快な社会になって欲しい。