ヒマワリのスカート

好きなことのスケッチブックです。気の向くままに書いています。よかったら覗いていってね♡

サルスベリの花センサー発動中

私は今までの私ではありません。

サルスベリの花を認識できるようになりました。

今までも目にしていた筈なのに、全然気づかなかった。

 

一度サルスベリの花を見つけたら、至るところに咲いている。

私の目にサルスベリの花センサーが装備された。

 

目にする度にうれしくなる、好きな色。

 


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君たちが生まれる前から僕はお母さんと付き合ってるから任せとけ

屋久島に父、母、弟、私の4人で出かけてきました。

 

ガンガン行こうぜの私と弟と、ゆっくり散策したい父母とに分かれて現地では行動していました。

 

先に出かける父母を見送る際に、父に「お母さんと仲良く過ごしやー」と声をかけると、

「君たちが生まれる前からお母さんと付き合ってるから任せとけ」と返ってきました。

 

何もいえないよね。

仕事には勇気を使わない

仕事で勇気を使わないことにしました。

 

気力には限界があるのではないかと気づきました。

何かする度に気力を使っていたら疲れてしまう。

気力を使って発揮する勇気は大切な時にとっておいた方がいいのです。

 

勇気を無駄遣いしないと決めると、行動力があがります。

今までは、思い悩んでためてためてジャンプ!と行動していたのが、

アッサリ一歩を踏み出すのに変えるイメージです。

 

した方がいいかな、と思ったことは、サラッと行動に移す。

 

仕事が楽しくなってきます。

 

 

 

 

山の抜け感

山梨の大菩薩嶺まで山登りに出かけてきました。

標高が高く、気温は11度。
普段せっせと働いている世界の上には、こんな場所があったのか。

 

細い尾根を歩いている時に、吹き抜ける風。

「抜け感がいいね」
「抜け感って、違うでしょ、ファッション用語でしょう」
「でも確かに、この場所には抜け感がある」

 

風が吹くたびに、「抜け感があるねー」って言って笑ってた。
別にそこまで面白くないのに。

 

そうやって笑いあって
歌を歌いながら山を登って、
山の上でサンドイッチを作ってくれる
恋人ができました。

 

風が吹いてきたね

近ごろ、良い報せが立て続けに舞い込んできています。
大型の受注が決まったり、受注確率の高い仕事の依頼を頂いたり。

良い報せの電話があり、その応対を横で聞いていた先輩から
「風が吹いてきたね」
と嬉しい言葉をかけて頂きました。

動いていると凹むこともあるけれど、動いていないと風は立たない。
爽やかな風を吹かせて、大きな風をおこしていこう。
なんてね

「呆けて他人にシモの世話になるくらいなら死んだ方がマシ」の暴力

(時代錯誤な言葉使いをしていますが、会話のままにしています。)

 

「ポックリと苦しまずに死ぬ」ことは究極の理想です。

自分で死因は選ぶことは殆ど不可能だからです。

 

友だちと3人でバスに乗っていて、老人ホームの前を通りかかりました。
その時に、友だち2人が
「自分は、老人ホームに入りたくない。キレイに死にたいし、ボケてしまったら生きている意味がない。他人にシモの世話になるまで生きていたくない」と話していました。

その時は、疲れていたこともあり会話に入らなかったのですが、
後から色々と考えてしまいました。

 

誰が会話を聞いているか分からないというのに会話を止められなかった後悔。
親や家族の介護をしている人がいるかもしれないし、もしかしたら排泄障害がある人がバスに乗っていたかもしれない。誰かがイヤな気持ちになっているかもしれない。別に若者の言葉なんて誰も気にしないかもしれませんが、私は気になりました。

 

確かに、シモの世話になるのはイヤだと言うこと
もし、私が明日から介護が必要になって、誰かにオシメを換えてもらう必要が出来たら、すぐに受け入れられないと思いました。介護の世界に身を置いていて「介護をして当たり前」の感覚になっていたことを改めて思いました。しかし私が高齢になった頃には、誰かにオムツを替えてもらわなくてもいいような、医療や機器や用具が発達していればいいなと思っています。矛盾している。

 

生存の全肯定とは
たとえば、意識の疎通がわかりにくくても、だれかの役に分かりやすく立たなくても、共感しないように見えても、面倒をみてもらう必要があっても
生きているだけで支えあっていきているということ。
それは、自分がどの立場であっても変わらないということ。

相模原の津久井やまゆり園の事件から1年というニュースをTVで流していて、
コメンテーターの人が
「社会問題を提起するような事件ですね」と人ごとのように言いあっていてゾッとした。

シモの世話になるくらいなら死んだ方がマシ、という考えの先に、
相模原の事件はあると思った。

 

怒って当たり前なのだ。
生きるのに理由はいらない。

 

 

 

ビクトリア島の涙

 

カナダの1人旅ではユースホステルに宿泊することにしました。
スーツケースを引きずり、1人でバンクーバーの町をウロウロ。
道ばたにある地図を見ていたら車椅子に乗った小さなおばぁちゃんから、「Can I help you?」と声をかけられる。ユースホステルへの道を聞き、お礼を言って別れて歩き出した。お礼を形で示しておこうと思いついて、おばぁちゃんの所に戻って飴を1つプレゼントした。乾燥する飛行機のなかで喉を労わるために買った龍角散。これが抹茶味、せめてイチゴ味だったら良かったのに思いながら。

辿り着いたユースホステルの窓口には、ゴキゲンな若い女性。金髪をおかっぱにしたその女性は、流れる音楽にあわせて踊りながら歌うように受付作業をしていた。その自由さに面食らいながらも、愉快な気持ちになる。
会社の年末年始のおやすみを利用して旅に出たので、ちょうどクリスマスの後だった。「Did you enjoy?」クリスマスは楽しんだ?と聞かれ友だちと居酒屋で過ごしたので「Drink and drink and drink with friends 」と答えた。笑って私もよと返ってきたのでたぶん通じたと思う。カードキーをもらって、日本製ではない信頼性に欠ける見た目のエレベーターに乗り込み3階へ。
女性専用のドミトリーを予約していて、日本のユースホステルと変わらない二段ベットとロッカーと、洗面台がある部屋を確認する。
部屋のなかには既に人がいて、その人がキニーネさん。何度聞いても名前が覚えられなくて、もうクイーネだったか、キニーヌだったか分からなくなってしまった。どれも違う可能性も高い。キニーネさんと呼ぶことにする。
キニーネさんはたぶん60歳代。白髪が混じった手入れをしばらくしていない感じの風貌で、ずっと乾いた咳をしていた。
私は初めての海外1人旅で警戒心をマックスにしていて、「変な病気をもらったらどうしよう、受付に戻って部屋を変えてもらおうかしら。でも何と英語で伝えばいい?」なんて思っていた。
このキニーネさんが、カナダ1人旅をふりかえる時に真っ先に出てくる人になるとは思わなかった。
後から知ることになるんだけれど、キニーネさんはサンフランシスコ出身で、写真家として生計を立てていて、家が見つからず半年間ずっとユースホステルに住んでいるらしかった。
そして何といってもオシャベリだった。
今まで相部屋になった人の詳細を聞いたり、昔に訪れた日本の着物や桜やトイレの話をしたり、今日どこに家を探しに言ったのか、〇〇エリアは土地代が高いとか。
カタコトの英語しか話さない私に向かって、懲りずに理解するまで話しかけてくれた。
初めは新鮮だったけど、だんだん慣れて来て、時差ボケで眠い私は適当を打つ程度には打ち解けていた。「うん」としか返事をしなくてもキニーネさんはずっと喋っていた。時差ボケのことを「Jet lag」と言うこともキニーネさんから教わった。
キニーネさんは大体部屋にいて、私は暗くなる前にユースホステルに帰ってくるので多くの時間をキニーネさんと過ごした。朝出かけるときは、「See you later、Have a nice day」と送り出してくれて、帰ったら一日の報告をする。私は日本からカナダの美容室を予約していて、バッサリと髪を切ったのだけど、その髪型を絶賛してくれた。その美容室は相場よりも大分高いことを教えてもらった。
私はソルトスプリング島に行くかビクトリア島に行くか悩んでいて、キニーネさんは相談に乗ってくれた。今回は時間の制約もあってビクトリア島に行くことにした。キニーネさんはバスに乗った方がいい、とか、自転車を借りても面白いとか教えてくれて、その日も送り出してもらった。
ビクトリア島はバンクーバーから少し離れた小さな島で、見たことのない青い色をした海と、小さな色鮮やかな家、イギリスよりもイギリスらしいと言われる庭園が美しい。
暴力的な時差ボケで喫茶店で寝て過ごした時間の方がトータルすると長いのだけど、満足してホテルに帰り着いた。
キニーネさんは待ち構えるように出迎えてくれて、ビクトリア島はどうだった?と尋ねた。海が美しかった、Beautiful, very blue と自分の英語の語彙力のなさを悔やみながらも伝えた。
キニーネさんは「ビクトリア島は不思議な場所なのよ、とても神聖な
場所。私も友達もビクトリア島の海を見た時、自然と涙がでた」と話し出した。私はとても驚いた。なぜなら私も海と垂直に伸びる道を歩いて海まで着いたとき、勝手に涙があふれ出したから。別に悲しい訳でも、逆に嬉しい訳でもなくて、感情は動いていなくて、ただ、普段の場所からあまりにも遠いところに来たことを思った。どんどん泣きながら、大きな歩幅で風を切るように歩いた。
「私も泣いたの」とキニーネさんに涙のジェスチャーをしながら伝えた。キニーネさんは全然驚かないで、「ビクトリア島はそういう所だから」と頷いていた。
海をみて泣いたこと、1人で風をきって歩いたことは、きっと誰にも言わないでいると思っていた。まさか英語で報告することになるなんて。
海を前にして、澄み渡った孤独と力強さを感じたことは、私にとって特別なことで。
キニーネさんとの思い出と折り重なって、たまに慈しむようにふりかえっている。

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