私は捨てる
ゴミを捨てる
使いこなせない持ち物を捨てる
楽しい気持ちにならない思い出を捨てる
考えても変わらない悩み事を捨てる
人と比べることでしか分からない幸せと不幸を捨てる
心配事を捨てる
救われたい願望を捨てる
人からよく思われたい見栄を捨てる
見ぬ振りをしてきた気になることを捨てる
偏見を捨てる
必要のない情報を捨てる
生理痛や肩こりなどの体の悩みを捨てる
無駄な出費を捨てる
ケチな考えを捨てる
後悔を捨てる
ネットサーフィンの時間を捨てる
ムダ毛を捨てる
時間をかけてメイクをしても「スッピン?」と聞かれていた私が、「化粧バッチリ決まっているね」と言われるようになった、たった一つの方法。
ありがちな長いタイトルをつけてみました。
花粉症で目が痒く、マスカラなどのアイメイクをサボっていました。低調気味の気分も上がらず、合コンやお見合いの予定もあるので思い切って予算を出してまつげエクステをしてきました。
そう、たった一つの方法とは、まつげエクステです。
驚くほど周囲の反応が良くて驚いています。
久しぶりに会った会社の男性陣に、「ほんまにキレイになったなー、女っぷりがあがった」と言われたり、ある人からは「今日の雰囲気も好きだよ」とメールが来たり。
女友だちからも、「化粧がきまっている!」と言われたり。
思い返せば、過去にまつエクをした時も沢山誉めてもらいました。
今まで、まつげエクステは高い贅沢品だと感じていたので、花粉症という理由がなければ選択しませんでした。
しかし、もしかしたらコスパが良いのかもしれません。
「化粧っ気がない」「幼い」「子どもっぽい」と言われるのが昔はイヤで、大人っぽくなりたいと色々と試してみました。高いファンデーションを買ったり、眉マスカラを買ったり、アイシャドウや口紅の色を変えたり。
しかし、ファンデーションもアイシャドウも塗らず、眉毛とリップだけ描いた日でも「化粧が濃い」とまで言われました。
大切なのは睫毛の長さだったのか。
まつげエクステはやはり贅沢品ですが、
同じお金を出すなら、ヘアカラーや高いファンデーションよりもまつエクにお金を出そうと思います。
つけまつげも改めてチャレンジしてみよう。
もし、あなたがメイクを頑張っても幼いと言われて、大人っぽいメイクがしたいと思っているのなら、一度試してみたら良いと思います。
浮かれポンチで周囲からの評価について書きましたが、メイクは自分のためにするのが良いと思います。調子が悪い時もハッキリとした顔でいられると救われます。
メイクは、体や心の調子の波を一定まで底上げしてくれるお守りのように使えると最近感じています。
面倒臭がりで、朝時間がないとスッピンで会社に行くこともあったのですが、心の余裕を大切に、お守りのようにメイクを出来たら良いと思ます。
調子の良い自分で、調子の悪い自分をいじめない。
近ごろ調子が狂い、今まで出来ていたことが出来ていません。
言い訳を考えるなら、花粉症か、季節の変わり目か、遊びと仕事と資格取得を目いっぱい取り込み過ぎているせいです。
ビフォーアフターはこんな感じ。
アフターがダメになっています。
before
一汁一菜は作ろう☆台所はいつもピカピカ☆
↓
after
しんどいから出来合いのを買おう、洗い物は溜まっているー
before
洗濯は毎日☆タンスから好きなタオルを選ぼう☆
↓
after
あー!タオルが足りない!洗濯しなくちゃ!とりあえず今日はハンドタオル2枚で体を拭こう!
before
床に何も置かない生活☆
↓
after
床に色々置いてある生活!
before
節約第一!お昼はお弁当を作る☆
↓
after
野菜を買っても腐らせそう。。外で食べちゃおう。
何とか生活を立て直そう!と部屋の掃除をしても、すぐに荒れてしまいます。
出来ないことばかり意識しても疲れます。
調子が良いときに作った自分のルールを守れないからイライラするなんて馬鹿みたいです。
部屋が少し荒れてたって、ご機嫌で過ごしたら問題ない。
昔に出来ていたことは、また余裕が出たら何時でも取り入れられるでしょう。
少しゆるく過ごそうと思います。
木蓮の花の見つけ方
母いわく
「木蓮はチューリップが開ききったような白い花をつける木」
木蓮の花が咲いています。
探してみてね
春の脱皮のためのダルさ。
花が一斉にほころびだし、勢いづいたように春ですね。浮き足立つような気持ちになる一方で、体がダルいです。
私は寒い時の方が頭が冴え、暑い時期が苦手です。花粉症に加え、日中の車内の暑さに滅入ってます。暑すぎてアイスも食べたよ。
調子がイマイチなので、冬の元気な時に出来ていたことが出来ていなかったりします。掃除と料理と洗濯があからさまに疎かになっています。
出来ていないことは目に見えて分かるけれど、
出来たことは分かりにくい。
体のリラックスを第一に、出来たことを数えながら寝ようと思います。
春になって、私も一回り新しくなれるように。ダルさの先に花が咲くようなイメージで。
あなたに会うのは今日で最後かもしれない。
春は別れと出会いのシーズンですね。
来年度から職務内容が変わり、今まで担当していた得意先から外れます。お会いするのは今回で最後かしら?と心の中で思いながら通常通りの会話をしています。
仕事上の付き合いとはいえ、3年間定期的に顔をあわせ、問題解決のために話し合ったり、冗談を言い合ったり、人生を垣間見るような話を伺ったり、人それぞれ思い出があります。
担当から外れるのは寂しい。
センチメンタルな気分で振り返ってみると、小さい頃から今までにどれだけの人と関わりあって生きてきたのでしょう。
友だち、先生、友だちの兄弟、近所の大人やバイト先の人たち。
もうきっと会うことのないだろう人。
また会える人。
あなたに会うのは今日が最後だと、知っていたでしょうか。
「また会おうね」と言って別れるけれど、もう会わないかもしれない。明日も生きている保証はない。
数に限りのある出会いの一粒一粒を輝く宝石のように大切に扱えますように。
もし、今日であなたに会うのが最後だったとしたら?
私は同じことをするかしら?
そう問いかけてみると、今までと違った回答が出てくるかもしれません。
もし、自分が森友学園の園児の親だったら。
テレビに映るモザイクのかかった子どもたち。ありふれた運動会の選手宣誓とは似つかない言葉。
運動会の宣誓は、学園運営の塚本幼稚園が2015年に開いた「秋の大運動会」を撮影した映像で判明。複数の園児たちが「大人は尖閣諸島や竹島を守り、日本を悪者として扱う中国、韓国は心を改めて」「安保法制国会通過良かったです」などと声を合わせた上で、「安倍首相頑張れ」と2回声を上げていた。
【森友学園問題】「尖閣」「竹島」「安保」に…幼稚園児が「安倍首相頑張れ」の選手宣誓 渦中の「森友学園」実体明らかに - 産経ニュース
驚いたのは、そこが閉鎖された教室ではなく、運動会での選手宣誓だったこと。たくさんの親がビデオカメラを抱えて、我が子を応援しに来ているのであろう。
安保法政について幼稚園児が理解出来るとは思わない。言わされているだけだろう。
しかし一方で、園児の親たちは。自分の我が子に強制的に中国・韓国への敵対心をあおるような刷り込みをすることに違和感を覚えないのだろうか。学園の教育方針に共感して入園させているのだろうか。
行き過ぎた行為であると感じた保護者は誰もいなかったのだろうか。
学園という右側の「当たり前」の中に身をおいて、「何だかおかしい」と思った時に、子どもの手をひいてやめさせることが出来るだろうか。テレビを見ながら、子どもの口を塞いでしまいたいという衝動があり、大勢の大人が見守る中で、実行されたことを怖く感じた。
安倍首相との癒着よりも、一歩道を謝れば戦争に繋がるような考え方が、小さな子どもに植え付けられていることが問題。教育とは様々な考え方を知り、自分はどの考え方を採用していくかを決めるための選択肢を出来るだけ多く提供するものではないのか。
みんなが良いと言うから良い。
みんながダメと言うからダメ。
そうやって、自分も影響されていないか。
みんなが良いって言っている中で、ノーと言えるか。
もし、自分が森友学園の園児の親だったら。